Japanese Spurs- Tottenhamhotspur fan blog

Gareth Bale – ギャレス・ベイル引退について

The Bestest one

初の記事はベイル、アーユーキリングミー。

新年にして、2023年のワーストニュースだったギャレス・ベイルの引退。衝撃という言葉以外見つからない。

彼はわたしがスパーズサポーターになろうと決定付けた選手であり、生涯で最も好きなフットボール選手というスーパーでスペシャルでオンリーワンだった。Twitter140文字では吐き出せないほどの感情が10年以上分わたしの脳の一部に置いてあった。

正直、最近あった私事も世間一般では大きな人生イベントだったが、そんなものどうでも良くなるくらい辛い。もうベイルのプレイが見れないなんて…と思うともうどうしようもない。

なので、ここに思いのたけを残す。とてもとても個人的な内容なので、興味のない方は違う記事がそれなりに出来たらお知らせするので、そちらを読んでいただきたい。スパーズ女子がおられるのであれば、ぜひとも想いのたけをスタバでぶつけ合いたい。

スパーズのベイルがすきだった

2013年、当時のワールドレコードを叩き出したベイルだったけれど、わたしはそれが未だに『彼の足の価値』だったかどうかは今でも良くわからない。レヴィが本領発揮したのが露呈されただけだったのかもしれない。

ただ、スパーズでは順調に成長していく姿にサポーターが惹きつけられたのは間違いないと思う。好きだった選手だったからこそ、レアルに行く際のインタビューで

“I know many players talk of their desire to join the club of their boyhood dreams but I can honestly say this is my dream come true.”

“多くの選手が少年のころ憧れのクラブに入りたいと夢見ているよね。正直、これは僕の夢の実現なんだ”

The Gurdian より一部抜粋

こんなこと言われてしまったらもう拍手で送りだすしかない。ケインのように「スパーズで活躍してタイトルをつかみたい」という嬉しい言葉がなかった事に当時は傷ついたりもした。しかし、個人の意見は尊重したい。けれど、スパーズの試合以外でベイルの姿は見たくない葛藤だけが残った。実際にレアルの試合は見なかった(当時ラ・リーガの放送はWOWOWでオンデマンドもなかったため契約をしなかったのもある)。

ベイルの引退はレアルへの移籍よりも衝撃であり、なにか感情がひとつ失ってしまったようにも感じる。これだけの感情を揺さぶられる選手…イマドキに言うならば推しはもう2度と現れないと思う。『推し』という言葉さえまだしっくり来ていない。なぜなら【推し】という言葉よりも前にギャラス・ベイルを知っていたから。

フットボーラーは、わたしにとってのアイドルであり、課金をしてもいい対象だ。幼少のころからそれは変わらない。フットボール観戦は既にライフルーティンでもある。恐らくこのブログを読んでいただいている方であれば理解していただけるだろう。観戦において、お気に入りの選手がいるかいないかで観る楽しみゲージは極端にアップする。観戦をして応援もしたい、憧れでもある、なんならビジュアルも好きになった。ベイルがすきなせいで小島よしおが好きになったこともあった。

このようなどうしようもない気持ちの整理のために、ベイルの思い出を振り返ることにする。

初めてベイルに魅せられた日

確実にベイルのファンとなったのはこの2010年のストーク戦。2008/2009から試合は見ていたものの、ベイルはただわたしの『スプリントするサイドバック好き』に少し反応する程度の存在だった。

が、この試合から常に目が追う選手になった。

当時としてはビッグネームが来た!と話題だったファンネル・ファールトや、すでに存在感が輝いていたモドリッチなどを核に、粒揃いのスパーズは初のチャンピオンズリーグへの道を手にし、プレミアリーグ史上最高の4位という成績も残した。

AVBの元でチーム・ベイル化、WHLへ。

わたしはこのタイミングで今を逃すわけにはいかない…!と、根性でyouth mobility scheme(ワーホリ)ビザを勝ち取り渡英した。目的はスパーズの試合を観るためだったが、最初の1年は旅行にバイトに夢中になってしまい、WHLに通い始めるのは2012-2013のシーズン中盤。モドリッチをこの目で見れなかったことだけは心底後悔したが、ベイルはアンドレ・ビラスボアスの元で、DFからストライカーへのコンバートに成功してとんでもないスプリントをし始めていた。それは画面越しでもワクワクするものであったし、数十km先でリアルタイムに試合がやっているということにまず興奮した。夜中でもない、朝方でもない。住んでいたロンドンでの出来事だったということに満足していた。

そしてその日はやってきた。

忘れもしない、9月23日QPR戦

シートをとったのはサイドがよく見れるEAST STAND UPPERの24。これはCKを見るためだ。現在は全く分からないけれど、当時はOnehotspur Membershipに入っていればビッグマッチではない限りすぐ取れた。ロンドンであればどのクラブも後援会的なものに入っていない場合は町中のチケッティングセンター的なところで販売している場合があるが、価格はほぼ倍にだった。ダフ屋サイトと同額くらいだったことを記憶している。当時のWHLのチケットは大体£32~£70くらいでとれたように思う。何故かはっきりと覚えているのはリバプール戦の£58とユナイテッド戦は公式でとれずに£240をはたいてダフ屋サイトで買った。

旧ホワイトハートレーン

初めて訪れたスタジアムでは、イングランド入国後すぐに来なかったのを後悔した。規模的には日本平…等々力と日立スタジアムくらいの規模だったと記憶している。後ほど調べてみると、36,310席とあったのでおおよそは合っていると思う。最前列から3列目でなければ雨の日でも濡れないのがお気に入りだった。

選手入場のときのSpurs go marching in、”COME ON YOU SPURS!!”の怒号(に聞こえた)と、ベイルがボールを持った時、ほとんどのスパーズサポーターが”BALE! BALE! BALE! BALE!…”と叫ぶ光景。あの雰囲気はテレビでは伝わらない。生観戦の雰囲気はテレビでは伝えきれないものがある。まだスタジアム観戦未経験の方はぜひ地元のクラブの観戦をお勧めする。

話を戻すと、結局初観戦はベイルの得点を見ることは叶わなかったがきちんと勝利した。

TEAM Bale

もうベイルがいないと機能しないと一部では囁かれてはいたものの、CL出場への期待も相まって気にならない!というのが当時の空気感だった。それに、ベルギーズ(ヤンデンベレ)が入って単に守備が落ち着いた事も大きかったと思う。モドリッチの抜けた穴もデンベレがボールを奪ってベイルが大きく前に持って行けば埋めれていた。ベイルが欠場したとしても、現役のデフォーやレノン、ギルフィ、デンプシーなどがそこそこ活躍した。勢いに乗っている雰囲気が全体的にあった。

記憶に残るゴール

もう10年以上前の話なので、実は記憶が欠落している部分もあるのだけれど、それでもまだ覚えていてわすれないであろう生で観れて良かったと今でも忘れないゴールが2つある。

1つ目は2013年2月25日に行われたアウェイのウエストハム戦。たまたまサッカー好きの友人がチケットを手配してくれて行ってみた試合での決勝ゴールはいまでもFKだったっけ?と思うくらい印象に残っている。因みにハマーズのロンドンスタジアムはWHLよりエントランスが鉄格子みたいで怖かった。

そして、2013年3月3日 NLD

この試合やゴールはベイルの運命の分かれ道だったんじゃないだろうか。

とにかく点を取っていた。そして、運も味方してか、点の取り方もいちいち派手な印象があった。今思えばなのだけれども。未だかつてGKを跳ね返してゴールした人はベイルしか見ていない。シュータリングはひょうきんなアイツで見たけれども。

ベイルが試合に出れば何かおもしろいものが見れる

子供のようにワクワクしながらスタジアムに足を運ぶ日々だった。確実にスターでアイドルだった。話しかけたりかけられる隣シートのサポーターもそんな感じだったし、ベイルがすき!!という事を話して嫌な顔をするサポーターなんてひとりもいなかった。皆が口をそろえて”For sure”ーもちろんだよねが返事だった。彼が欠場している試合でも、わたしが見た限りでは白熱している試合が多かった。

今思うと、CLインテル戦では負けたものの、光の速さでハットトリックをしたベイルを実況者が“The World Knows Your Name!!!”と叫んだあの時から、移籍というふた文字は頭の片隅に常にあった気がする。確かにストライカーとして世界に認知された日でもあったと思う。見つからない訳がない。素晴らしい選手がスパーズで産まれた(しかもイギリス人)事で、外国人まみれのお隣よりも鼻高々だった。

そしてシーズンが終わり、CLを逃してなんとなく振るわないが、ビッグチームに勝てたシーズンという総評でまずまずだった。AVBも次シーズン続投となり、スパーズ初のアジアツアーの際にベイルがどうやらレアルに行くらしいと噂が流れ、2013年夏季移籍ウィンドウの最終日に伸びに伸びたレヴィの交渉で当時のワールドレコードを叩き出した。まぁすぐにアザールに抜かされるのだけれども…

スパーズすら知らない、フットボールもあまり見ない人にもギャレスベイルという名が知れ渡った日でもある。そんな満を持しての”Hala Madrid”だった。

前日に、泣きながらベイルに直談判した夢は今でも忘れられない。それだけ移籍はつらかった。わたしはむせび泣いた。

移籍後、ジダンとの確執のうわさ

このブログがスパーズブログであることもそうだが、個人的に移籍した選手は追わない主義である。しかし、SNSのフォローを外せなかった選手の情報はいやでも目に入るものだ。

アンチェロッティの蜜月期間を経て、もう誰も否定しないであろうビッグプレイヤーになったベイル。その後ジダンの元での2人の間でどの確執があったかどうかは気になった。

「ベイルが怪我で長期離脱が多いうえに、趣味のゴルフを楽しんでいる給料泥棒だ」

こんな記事が連日TLに流れてくると流石に心配になったし、メディアがSNSで拡散させようとするイメージは笑顔でベンチにいるベイルだった。メディアだけの情報を信じないよう強く想った私にとっては事件だった。

わたしは最早ベイルオタクと化した。多分スパーズにいた頃よりベイル関連の記事を漁りに漁った。ジダンとベイルの確執の真相は、結局未だに謎だ。けれど、クラブ側が『給料泥棒』とメディアを使ってベイル本人を非難してたのではないのかと思っている。嘘だろうが本当だろうが、選手個人を守る行動を取らなかったジダンもレアルもわたしはこれからも一生好きにならないだろうし試合も見ないだろう。

2022W杯のプレビューインタビューか何かでベイルはこう残した。

It’s that perception that people think I play a lot of golf, when I actually don’t. People think I’m injured a lot, but I’m actually not.

「皆、僕がゴルフばっかりしてると思っているだろうけど、実際にはそうじゃないって認識がある。皆、僕が怪我ばっかりしてると思ってる。でも実際にはそうでもないんだよ

この言葉に真意はあるのだろうか。本人にしかわからない。しかしレアル在籍中にベイルのコメントは試合に関するもの以外ほとんどなかった。深堀はあまりしたくないし、もう過去のことなのでデータだけ載せておく。

R.Madridに在籍中にあった怪我

  • September 2013: Thigh strain, which caused him to miss 2 matches.
  • April 2014: Calf injury, which caused him to miss 2 matches.
  • October 2014: Muscle injury, which caused him to miss 2 matches.
  • January 2015: Hamstring injury, which caused him to miss 6 matches.
  • September 2015: Calf injury, which caused him to miss 2 matches.
  • January 2016: Calf injury, which caused him to miss 5 matches.
  • November 2016: Ankle injury, which caused him to miss 9 matches.
  • September 2017: Calf injury, which caused him to miss 5 matches.
  • January 2018: Calf injury, which caused him to miss 5 matches.
  • September 2018: Groin injury, which caused him to miss 4 matches.

R.Madrid在籍時の得点数

  • 2013-14: 22 goals in 44 appearances
  • 2014-15: 17 goals in 48 appearances
  • 2015-16: 19 goals in 31 appearances
  • 2016-17: 9 goals in 27 appearances
  • 2017-18: 21 goals in 39 appearances
  • 2018-19: 14 goals in 42 appearances
  • 2019-20: 3 goals in 20 appearances
  • 2020-21: 0 goals in 16 appearances

実際にこうやってみると16/17シーズンは厳しいものとなった印象で、ジダンが監督時でもある。それが何を意味しているのかも、当時はスパーズが盛り上がっていたこともあって関心は薄らいでいたしマイナスな情報はわたしには入らなかったのだと思う。

そして、BALE IS BACK

どうやらベイルがスパーズに戻ってくるらしいと報道がちらほら出始めたのは、恐らく2018の冬頃からだったかと記憶している。2018は釣り記事に近かったが、誰しもが予想しなかった2019年には、ポチェサック事件を頭にトッテナムホットスパーフットボールクラブは混乱に混乱を招いた。この一連の事件?珍事?はAmazon Primeで配信しているAll Or Nothingにてドラマティックにストリームしているので是非まだの方はご覧いただきたい。ジョセモウリーニョ劇場だったけれども、個人的にはあれはあれでいい思い出だ。

そんな混とんとしたシーズンだったので、19年にはフワっと『帰ってきてほしいな…やっぱり勝利者のメンタルは必要だもの』と思い始めたころ、ベイルスパーズ復帰の話題が増え始め、19年冬には『次の夏にはベイルは戻ってくるだろう』と段々とリアリティが増してきた。

そして2020年の夏、ベイルは帰ってきた。レヴィはまたもやってくれた。当時の週給(現レートで約9,030万円程度)の半分をレアルが払う事で話をつけ帰ってきた。きっとペレス会長はレヴィが苦手だろう。

あの時の少年が青年になって帰ってきた。クラブの低迷とリンクしていたわたしの心に、一気にお花が芽吹いていくのを実感した。OneHotspurの更新どうしようかな…と思っていたはずなのに、気づいたら更新をかけていた。PLを知っている知り合いたちには『今シーズンは全試合リアタイするわ』と言いまわった。無駄にTweetも増えた。フォロワーは10倍になった。産後は育児に仕事に疲れ果てていて、前半だけとか試合も観ずに寝てしまって結果やダイジェストのみでやり過ごすシーズンもあったが、実際、カップ戦も嬉々として全試合リアタイできた。この年の活力そのものだった。

背番号11をなんでベイルに譲らねえんだよラメラ!と少し理不尽に怒った事があったが、ラファが抜けたあとのプレシーズンに9を付けた事があると言っていたのでよしとした記憶がある。本当に推しってすごい。怖い。

観たことのないベイル

ベイルイズバックしたが、最初の4試合は怪我のため彼の姿は見られなかったが、やはりジョゼ(モウリーニョ)はファーストチョイスにはしなかった。選手としてのピークが過ぎてしまったストライカーより、攻守ともに出来てスプリントできるソニーの方が魅力的だ。さすがに私だってそれはわかる。だが、2シーズン位補強がなかったスパーズに経験のある選手はカップ戦に絶対必要だとみてみると、なるほどベイルは若手や主要選手にチャレンジさせるような動きを見せる。

スターティングで出場してもフルで出ることはなく、自分でゴリゴリ走る事もなかった。これは試合の勘が戻らないからだったのだろうか、サポート役みたいな動きが目立った。不思議な気分だった。物足りなさはぬぐえないけれど、スプリントしないベイルもすきだった。ただ、スパーズのシャツを着てスパーズのためにプレイしている姿がまぶしかった。

そして初出場でゴール

https://twitter.com/SpursOfficial/status/1323019694115295238?s=20

2020年10月18日、PL第5節ウェストハム戦。

正直これはレギロンの”憧れのベイルさんへとどけ!!”なおかげな気もするが、確実なヘッドでゴールをしたベイルを観て単純にビビった。怪我から復帰して初試合である。移籍前、最後に出た試合は6月24日でフルタイム出たものの、点もアシストもなかったらしい。印象的な復帰ゴールだった。

34試合16ゴール

34試合中平均34分程度出場で16得点しているということは、やはり平均以上だ。ラスト5ゴールのベイルは本当に楽しそうだ。スパーズでプレイしてくれてありがとうと心から思えるし、ベイルらしいゴールだった。プレイだけではなくて、マーチャンダイズやファンサービスにも尽力してくれたように思う。長年わたしは彼の代理人のバーネットを恨んでいたように思うが、彼だったからスパーズの復帰も実現できたのかな…と遠い目をしてしまう。一体代理人ってどのくらいの影響を及ぼすのだろうか。

33歳での引退は早いのか

スパーズへのローン後にレアルに戻っても、W杯が終わっても戻って来てまた1シーズンくらいはスパーズプレイして引退してくれると願っていたが、今現在こうやって振り返ってみるとLA行もW杯後のゴルファー転向ももう既に決まっていた事のように思える。スパーズでプレイすることをベイル本人も願っていたし、必要だった。わたしもこの言葉にとらわれていたファンのうちのひとりなのだけれども、わたしがかつてベイルと同じくらい大好きだった選手も34歳で引退した。

その選手は「自分の想像と実際のプレイにズレが生じた時点で引退を決意した」と言っていた。自分のピークを過ぎた選手には2通りあって、イメージ通りのプレイが出来なった場合に引退を決意するタイプと、自分の限界まで挑戦するタイプがあるらしい。

ベイルの場合は【次の挑戦】がフットボール以外にあり、ゴルフ選手のピークは30代後半から40代前半にかけてらしい。ベイルの筋肉はどのスポーツにも対応できる特殊な天性らしいので、個人的には応援したい。全くゴルフのことはわからないが、経験のスポーツと聞いているのでピーク前に始めるのも当然だ。そう考えると引退は彼にとってちょうどいい時期だったんだなと、やっとこの記事を書くことで自分の中で咀嚼できた。彼のキャリアを素直に応援できるよう、ゴルフもルールくらいは覚えようかなと前向きに思っている。

とはいえ、引退は寂しい

やはりあの輝いていた”フットボーラー”だったギャラス・ベイルを簡単には振り切れないのが事実。スパーズの中でお気に入りの選手ができたといえど、加齢のせいもあり熱狂度的には彼ほどの選手は現れないと思う。と、いうか現れていない。そもそもお気に入りの選手は皆スパーズを去ってしまった現実が悲しい。

好きになった頃の選手というのは尊い。これからもスパーズにいた頃のギャラス・ベイルを生で観ていたんだよと後世に自慢を語り継いでいこうと心に決め、Couple of monthsダラダラと書き綴ったこの記事を〆よう。

ああ、やはりまだ心の整理はつかない。

最後に素晴らしいファン動画を作ってくれるyidvids2さんのベイル動画を張り付けておく。ファン視線のシーズン振り返りが十数分で堪能できるので是非見てみてほしい。